一色持信 (ISSHIKI Mochinobu)
一色 持信(いっしき もちのぶ、? - 永享6年4月21日 (旧暦)(1434年5月29日))は室町時代の武将。
一色満範の子で兄に一色持範、一色義貫がいる。
兵部少輔、左京大夫。
子は一色教親。
足利義教の寵臣で御供衆を務める。
永享2年(1430年)、病のため剃髪、出家した。
同年6月21日に近江国竹生島宝厳寺に雷雲蒔絵鼓胴を奉納している。
病平癒を祈願してのことか。
永享3年(1431年)9月、義教から近江国高島郡内新荘地頭職を充て行われている。
永享4年(1432年)9月の義教の富士遊覧にも随行。
この旅の途中、三河国矢作へ宿泊した義教の許へ伺候しなかった同国在住の奉公衆中条詮秀は、翌月、所領高橋荘(豊田市)を召し上げの上、自害を命じられた。
その際、高橋荘は持信と吉良義尚に分給された。
同年11月には小侍所別当に任じられた。
永享6年(1434年)4月21日没。
一流の歌人でもあり、歌は「新続古今和歌集」に収められている。