一色藤長 (ISSHIKI Fujinaga)
一色藤長(いっしき ふじなが、? - 慶長元年4月9日 (旧暦)(1596年5月6日)?)は戦国時代 (日本)の武将。
室町幕府の御供衆。
式部省。
一色氏一門(式部家)。
一色晴具の長男。
金地院崇伝の父、一色秀勝は藤長の兄弟。
一色藤長は一色義貫と一色家家督を争った一色持範の直系子孫である。
奉公衆となった一色式部家の当主として、細川輝経らとともに足利義輝・足利義昭に近仕した。
足利義昭の子の義喬を、「足利義喬」として藤長が養育したと言われている。
1600年の関ヶ原の戦いで西軍方として参戦し、討ち死にしたとの説もある。
子孫
子に範勝がいる。
範勝は二千石の大身の旗本として江戸幕府に仕えた。
範勝の官職は大名並の従五位下式部少輔であり、幕府の儀式を司った。