三好義興 (MIYOSHI Yoshioki)
三好 義興(みよし よしおき)は、戦国時代 (日本)の武将。
三好長慶の嫡男。
生涯
天文 (元号)11年(1542年)、三好長慶の嫡男として生まれる。
早くから父に世子として指名され、永禄3年(1560年)には従四位筑前国に叙位・任官され、室町幕府第13代将軍・足利義輝から「義」の字を賜って義長と名乗り、御供衆・相伴衆に任じられる。
同年、父が河内国飯盛山城に移ると、摂津国の芥川山城を任されている。
父に劣らず智勇に秀で、六角義賢が京都に侵攻して来た時も松永久秀と協力してこれを撃退し、永禄5年(1562年)には河内国飯盛山城の戦いで勇猛で鳴る畠山高政の軍勢に大勝するなど、若い頃からその有能さを天下に示していた。
また、義興は豊かな教養人でもあり、将軍・足利義輝や公家たちからの信望も厚かった。
しかし永禄6年(1563年)8月、突如として居城芥川山城において急死した。
享年22。
これには主家征服を目論む松永久秀の毒殺説の疑いが強いが、真偽は定かではない。
また、父の長慶は義興の死で心身に異常をきたし、翌年に後を追うように病没している。