三条公広 (SANJO Kinhiro)
三条公広(さんじょう きんひろ、天正5年(1577年)‐寛永3年10月7日 (旧暦)(1626年11月25日))は、安土桃山時代から江戸時代前期の公卿。
主に後陽成天皇(107代)・後水尾天皇(108代)の二代にわたり朝廷に仕えたが、清華家の三条家当主でありながら大臣になれず、惜しまれて死後に内大臣を追贈されている。
父は内大臣三条西公国。
母は左大臣西園寺公朝の娘。
兄に右大臣三条西実条が、子に左大臣三条実秀がいる。
正室は中納言正親町三条公仲の娘。
初名は三条公盛。
三条家の分家三条西家の三条西公国の次男で、公国の実弟で三条家の当主の三条実綱の養子縁組となり相続した。
天正9年(1581年)に叙爵。
以降累進して、慶長2年(1597年)に従三位となり、公卿に列する。
慶長17年(1615年)に大納言に叙任。
さらに二年後に正二位へと進んだが、大臣になる前に寛永3年(1626年)に薨去している。
享年50。