三条実顕 (SANJO Saneaki)
三条 実顕(さんじょう さねあき、宝永5年5月29日 (旧暦)(1708年7月16日) - 安永元年12月19日 (旧暦)(1773年1月11日))は、江戸時代中期の公卿。
主に中御門天皇(114代)・桜町天皇(115代)・桃園天皇(116代)の三代にわたり仕え、官位は従一位右大臣まで進んでいる。
父は近衛府三条公兼。
母は内大臣広幡豊忠の娘。
妻は三条公充の娘。
子に右大臣三条季晴、大納言河鰭実祐(河鰭季満養子)、権大納言中山忠尹室。
養子に権大納言三条西延季がいる。
初名は利季。
正徳 (日本)4年(1714年)に叙爵。
享保4年(1719年)に叔父である三条公充の養子に入った。
三条家の嫡男として早いスピードで昇進し、侍従・左近衛中将・中納言・踏歌節会外弁・権大納言などをへて、寛延2年(1749年)に右近衛大将、内大臣となった。
翌年辞職。
宝暦4年(1754年)には従一位・右大臣に任じられるも辞職する。