三浦桃寿丸 (MIURA Tojumaru)
三浦 桃寿丸(みうら とうじゅまる、生年不詳 - 天正12年(1584年))は、日本の戦国時代の武将。
父は美作国の国人領主・三浦貞勝、母は円融院。
異父弟に豊臣政権五大老になった宇喜多秀家がいる。
生涯
生年不明であるが、父・貞勝が死亡した永禄8年(1565年)以前と推定される。
備中国の国人領主三村家親により父・三浦貞勝が自害したため、母と共に備前国津高郡下土井村に逃れ、更に宇喜多直家の元に身を寄せた。
その後異父弟の宇喜多秀家が産まれたが、義父の直家には実子の秀家と共に我が子同然に育てられた。
天正12年(1584年)、京都に上った時に地震に遭い圧死し、美作三浦氏は滅亡する。
なぜ京都に上ったのか、異父弟・秀家の名代で参上したものなのか、単なる単独行動なのか、理由は不明である。
当時の状況を考えるに、宇喜多氏と豊臣秀吉との関係で上洛していた可能性が高いと思われる。
名に関する疑問点
年齢を考慮すると、20歳以上での死去が確定的であるが、なぜか元服の記録が残っておらず、その名前も判然としない。