三雲仙嘯 (MIKUMO Sensho)

三雲仙嘯(みくも せんしょう、男性、明和6年(1769年) – 弘化元年12月14日 (旧暦)(1845年1月21日))は、江戸時代後期の日本の篆刻家である。

名は 孝、
字を 子孝、号 (称号)は仙嘯以外に僊嘯・仙嘯人ある。
通称は中書。
京都の人。

略伝
京都嵯峨野・河東丸太町通などに住み、代々医を業とした。
読書・漢詩・俳諧・茶などの文芸を好んだ。
篆刻は葛子琴に学び特に優れた。
嵯峨大覚寺真言宗大覚寺派の要請で『文館詞林』の模刻を行う。
印譜に『快哉心事』など多数。
門弟に中村水竹・壬生水石などがいる。

享年77。
墓所は寺町通十念寺(浄土宗・山号:華宮山)。
戒名僊嘯院義空宗孝居士。

[English Translation]