下毛野石代 (SHIMOTSUKENU no Iwashiro)
下毛野 石代(しもつけぬ の いわしろ、生没年不詳)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族。
下野国を本拠地とする下毛野氏の出。
本姓は下毛野朝臣だが、続日本紀によると707年(慶雲4年)3月22日 (旧暦)、一族の下毛野古麻呂が石代の姓を「下毛野朝臣」から「下毛野川内朝臣」に変更することを朝廷に上申し、許可が下りていることから、この時点で下毛野川内朝臣に改姓したものと考えられる。
経歴
701年(大宝 (日本)元年)7月21日 (旧暦) - 文武天皇の命を受け、官人を代表し亡くなった多治比嶋を誄する。
この時、石代の官位は従七位下であった。
715年(霊亀元年)1月10日 (旧暦) - 従六位下を下賜される。
720年(養老4年)9月29日 (旧暦) - 陸奥国で起きた陸奥按察使上毛野廣人殺害事件に対し、この時左京亮従五位下であった石代は元正天皇より征夷副将軍に任ぜられ、これを征伐する。