並河誠所 (NAMIKAWA Seisho)
並河 誠所(なみかわ せいしょ、寛文8年(1668年) - 元文3年(1738年))は、江戸時代中期に活躍した儒学者・地理学者。
並河永、並川五一、並川五一郎とも称される。
実地調査に6年間を費やして、地誌『五畿内志』を編纂した。
調査の過程で数々の延喜式式内社の比定も行っている。
生涯
寛文8年(1668年)、山城国の富農の家に生まれる。
京都で伊藤仁斎に学び、江戸で私塾を開く。
享保11年(1726年)、三島宿の北に漢学の私塾「仰止館」を開く。
享保19年(1734年)、『五畿内志』完成。
元文3年(1738年)、死没。
金堀塚(現静岡県立三島北高等学校内)に墓が作られたが、大正8年(1919年)に本覚寺 (三島市)へ移された。