中将姫 (Chujo Hime (Princess Chujo))
中将姫(ちゅうじょうひめ、天平19年8月18日(747年9月30日)- 宝亀6年3月14日(775年4月22日))は、右大臣藤原豊成の娘とされる、日本の伝説上の人物。
生涯
天皇から中将の位を賜ったため、中将姫と言ったとの伝承もあるが、「中」が重要な鍵ではないかとも考えられる。
「中」が例えば「神(仏)と人との仲立ちをする」意味を示している可能性もある。
他に考えられる例としては天智天皇、中皇命、忍坂大中姫、中臣氏、中宮等があげられるが、詳しいことはわかっていない。
継母の暗殺から大和国雲雀山に逃れて、當麻寺(たいまでら)に入り尼となり(一説には父の左遷を悲しんだためとされる)勤行に励んで、徳によって仏の助力を得て、一夜で蓮糸で当麻曼荼羅(観無量寿経の曼荼羅)を織ったとされている。
関連する事項
中将姫が婦人病に悩まされたとの伝説があり、淡島明神同様、同じ悩みを持つ女性に特に信仰があった(参考:中将姫誓願桜)。
ツムラの創業者津村重舎は大和国宇陀郡出身で、雲雀山青蓮寺の檀家であり、母の実家の藤村家に、逃亡中の中将姫をかくまった御礼に製法を教えられた薬(中将湯)が、代々伝えられていたという。
大和高田市を流れる高田川には中将川との別名がある。
中将姫は船で、高田川を使って移動、安部村に上陸、築山古墳 (大和高田市)のある築山村に滞在した後、当麻寺へ入ったとの伝説がある。
継母の暗殺から逃れた雲雀山については、和歌山県有田市糸我町と橋本市恋野にも同じ名前の地名があり、どちらも、中将姫にまつわる言い伝えが残されている。