中院通村 (NAKANOIN Michimura)
中院 通村(なかのいん みちむら、天正16年1月26日 (旧暦)(1588年2月22日)- 承応2年2月29日 (旧暦)(1653年3月28日))は江戸時代前期の公卿。
村上源氏の中院家の当主。
父は、中院通勝。
母は細川幽斎(細川幽斎)の娘。
熊本藩主細川忠興とは義兄弟。
元服時の名は中院通貫。
号は、後十輪院。
最終官職から中院内府ともよばれる。
正室は溝口秀勝の娘。
子に中院通純、娘(清閑寺共綱室)がいる。
後水尾天皇の第一の側近。
反幕府派の公卿。
古今伝授を受け歌人としても高い評価を受けた。
家集に『後十輪院内府詠藻』がある。
江戸幕府3代将軍徳川家光に古今伝授を所望されたが、断ったという逸話がある硬骨の人。
世尊寺流の能書家としても著名。
また、絵画などにも造詣があるなど、舅の細川幽斎に劣らぬ教養人でもあった。
代表的な歌
朝露も こぼさで匂ふ 花の上は 心おくべき 春風もなし
あつからぬ ほどとぞいそぐ のる駒の あゆみの塵も 雨のしめりも
一夜あけて 四方の草木の めもはるに うるふ時しる 雨の長閑さ
いろどらぬ ただ一筆の すみがきを 都のをちに かすむ峰かな
たれとなく 草の枕を かりそめに 行きあふ人も 旅はしたしき
春の夜の みじかき軒端 あけ初めて 梅が香しろき 園の朝風