久努麻呂 (KUNU no Maro)

久努麻呂(くぬのまろ、生没年不明)は、飛鳥時代の人物。
氏は阿倍久努(あべのくぬ)ともいう。
旧仮名遣いでの読みは同じ。
姓(カバネ)は臣、後に朝臣。
675年に朝廷への出入りを禁じられ、続いて官位を奪われた。
その後赦され、686年に天武天皇の葬儀で刑官のことを誄した。

天武天皇4年4月8日 (旧暦)(675年5月7日)、天皇は当摩広麻呂と久努麻呂の二人に朝廷に来ることを禁じた。
理由は不明である。
4月14日(5月13日)、久努臣麻呂は天皇の命令に反した罪で、官位を剥奪された。
このとき麻呂の位は小錦下であった。

その後、赦されたらしく、天武天皇の葬儀に際して、朱鳥元年9月29日(686年10月21日)に直広肆阿倍久努朝臣麻呂は、刑官のことを誄した。

[English Translation]