久我清通 (KOGA Kiyomichi)
久我 清通(こが きよみち、明徳4年(1393年) - 享徳2年9月5日 (旧暦)(1453年10月7日))は室町時代の公卿。
父は久我通宣。
子は久我通博。
号は後久世。
嘉吉元年11月2日に嘉吉の変で足利義教が暗殺された混乱に乗じて源氏長者の地位を申請して任ぜられる。
だが、没後に足利義政が再び源氏長者に任じられたため、源氏長者の地位は再び足利将軍家に戻った。
略歴
明徳4年(1393年)に久我通宣の子として生まれる。
永享元年(1429年)に内大臣(1429年 - 1432年)となる。
嘉吉2年(1442年)1月5日 (旧暦)、叙従一位。
享徳元年(1452年)に太政大臣(1452年 - 1453年)となる。
享徳2年(1453年)に薨去。