久我通忠 (KOGA Michitada)
久我 通忠(こが みちただ、建保4年(1216年) - 建長2年12月24日 (旧暦)(1251年1月17日))は、鎌倉時代の公卿。
後堀河天皇(86代)・四条天皇(87代)・後嵯峨天皇(88代)・後深草天皇(89代)の四帝にわたり仕え、官位は正二位権大納言・右近衛大将まで昇った。
父は太政大臣久我通光。
母は権中納言藤原範光の娘。
兄に久我通平、弟に久我雅忠・久我雅光・久我顕定・六条通有がいる。
承久2年(1220年)に叙爵。
侍従・左近衛中将・加賀介・中宮兼亮などを経て、寛喜2年(1230年)従三位となり、公卿に列する。
その後も因幡権守・参議・権中納言を経て、延応元年(1239年)に権大納言になるも、仁治2年(1241年)には病を理由に辞職。
寛元2年(1244年)に権大納言に再任。
宝治元年(1247年)右近衛大将に任じられる。
建長2年(1250年)には正式な大納言となったが、同年に薨去した。
享年35。