九条基家 (KUJO Motoie)

九条 基家(くじょう もといえ、建仁3年(1203年)- 弘安3年7月11日 (旧暦)(1280年8月7日))は、鎌倉時代中期の宮廷歌人。
父は九条良経。
母は藤原基房の娘・従二位藤原寿子。
月輪と号し、九条前内大臣と称される。
幼名を鶴殿といった。

九条良経の三男として生まれる。
建保5年(1217年)従三位となり、権中納言・大納言を経て、嘉禎3年(1237年)12月25日、35歳で内大臣に任ぜられた。
翌年辞任。

承久の乱の後、京における歌界で活躍し、一方では隠岐国に配流となっていた後鳥羽天皇と連絡をとりながら遠島歌合などに参加している。
藤原定家が亡くなった後は定家の子藤原為家と対立し、1262年(弘長2年)「続古今和歌集」の撰者の一人に選ばれた。
また「弘長百歌」「弘安百歌」に参加し、「和漢名所詩歌合」「雲葉和歌集」を撰出している。
歌風は華麗でしかも古風を好み、葉室光俊(為家と対立的立場を取った)に近い立場を取った。
編纂書は他に「新時代不同歌合」「新三十六人撰」及び「古来歌合」(散逸)など。
自身の家集もあったがこれも散逸している。

[English Translation]