九条道孝 (KUJO Michitaka)

九条 道孝(くじょう みちたか、天保10年5月1日 (旧暦)(1839年6月11日)- 明治39年(1906年)1月4日)は、幕末期の公卿。
明治時代の政治家。
従一位公爵、貴族院議員。
当初は道隆とも表記した。
父は九条尚忠(道孝は長男)、養父は九条幸経(尚忠の養嗣子)。
孝明天皇の女御・英照皇太后は姉。
娘の節子は大正天皇の皇后(貞明皇后)となった。
昭和天皇の母方の祖父。
最後の藤氏長者であった。

九条尚忠の長男だったが、九条幸経の養嗣子となった。
1864年、国事御用掛、1867年には左大臣となる。
大政奉還前は、父の尚忠と同じく幕府との協調を推進。
そのことから、王政復古の大号令が出された時は、それを追及されて参内停止処分に処せられた。
が、1868年に許され処分を解かれた。

同年、摂政関白廃止後の藤氏長者に任じられ(最後の長者)、官軍の奥羽鎮撫総督に就任。
戊辰戦争では東北地方を転戦した。
明治維新後は明治天皇の相談役となる。

岩崎弥太郎の勧めで日本初の海上保険会社である東京海上保険会社(現在の東京海上日動火災保険)の創設に関わった。
華族制度創設時に旧摂家当主として公爵に叙され、帝国議会創設にともない貴族院 (日本)に議席を有した。
1900年に大勲位に叙され、大勲位菊花大綬章を受章した。
1906年、68歳で死去。

[English Translation]