乾和宣 (INUI Kazunobu)
乾 和宣(いぬい かずのぶ、生年未詳 - 元亀元年4月26日(1570年))は、安土桃山時代の武士。
織田信長の臣。
前名九十郎。
のち作兵衛と称す。
家紋は「丸に桔梗」。
来歴
乾(土岐)久右衛門重頼の嫡子として美濃国池田郡に生まれる。
父重頼は、清和源氏土岐氏の支流乾氏で、初め土岐氏を称しのち乾氏に改めた。
父は大永2年小野山の合戦(一説には永正15年の合戦)で討死したという。
和宣は、織田信長に仕えたが、元亀元年4月26日(1570年)越前国金ヶ崎の戦いで討死した。
家族
嫡子:乾和信(彦作)
--------天正6年播磨国で山内一豊に召し出されその臣となる。
天正13年11月29日長浜地震で被災し死亡。
享年42。
次男:乾宣光(七郎左衛門)
---天正6年但馬国赤松伯耆守に仕え、その後山内一豊に召し出されその臣となる。
慶長16年病死。
三男:乾和三(備後)
--------天正6年播磨国で兄和信とともに山内一豊に召し出されその臣となる。
寛永10年1月12日病死。