五辻高仲 (ITSUTSUJI Takanaka)
五辻 高仲(いつつじ たかなか、文化 (元号)4年12月22日 (旧暦)(1808年1月19日) - 明治29年(1896年)6月5日)は江戸時代末期(幕末)から明治時代にかけての公卿。
半家 (公家)の五辻家第33代当主。
宇多源氏。
権大納言庭田重能の子。
従二位非参議五辻豊仲の養子となった。
兄に庭田重基、妹に庭田嗣子(仁孝天皇典侍・大奥上臈上座)らがいた。
正室は山口氏、継室は松山忠義の娘。
養子に五辻継仲(大原重成の子)がおり、子に五辻安仲(継仲の養子となる)・西五辻文仲(西五辻家の祖)がいた。
官位は正二位非参議。
安政5年(1858年)の日米修好通商条約勅許を求める幕府案に反対し、廷臣88人の列参に加わる(廷臣八十八卿列参事件)。
明治元年(1868年)に参与・内国事務局権判事に任命され、同2年少弁となる。
明治6年積年の神楽奉仕を褒賞され、同年隠居した。
明治19年6月5日、80歳で没した。