井深彦三郎 (IBUKA Hikosaburo)

井深彦三郎(いぶか ひこさぶろう、慶応2年(1868年) - 大正5年(1916年))は、明治時代の陸軍工作員、後に衆議院議員。
旧会津藩士族出身。
兄に松平容保の小姓から後に宣教師・明治学院総長となった井深梶之助。
娘にハンセン氏病患者の救済に尽くした看護師・井深八重がいる。

略歴
代々会津藩の家老を務めた井深家の出身。
父は会津藩藩校・日新館の学頭(校長)でもあった井深宅右衛門、母は会津藩家老・西郷頼母の娘の八代子。
彦三郎2歳の時に戊辰戦争が勃発。
負けた会津藩は斗南に移され、貧困の内に幼少期を過ごす。

後、上京し築地にて英語を取得した。
明治19年に、妻の兄である荒尾精に共鳴して中国に渡った。
以後は語学を活かし日清戦争では第一軍司令部通訳官、日露戦争でも軍務に従事した。
戦後は清政府に顧問として迎えられ満州開発に従事する。
また一種の工作員として活動したとも考えられている。

明治45年に衆議院選挙に当選する。

大正5年、北京市にて死去。

彦三郎は終生中国に関心を持ち、全く家庭を顧みなかった。
そのため、後にハンセン氏病を発病した(後に誤診と判明)娘の八重は一時悲惨な境遇に置かれることとなる。

[English Translation]