井田磐山 (IDA Banzan)

井田 磐山(いだ ばんざん、明和4年(1767年) - 文久3年3月18日 (旧暦)(1863年5月5日))は日本の書家。
名は直、号は磐山、俗称は要人。

書家として最高の称号「法印」に補任された。

経歴

大篠津村(現鳥取県米子市)の本池家に生まれ、養われて佐斐神村(現境港市)の井田家に入った。
幼いときから書に親しみ、若くして郷里を出て、京都で苦学し書法の奥義(おうぎ)を体得した。
書をもって諸方に遊び、東海、北陸、奥州に足跡を残す。
中でも宮城県志田郡古川の地では数年もとどまり、多くの子弟に書を教えている。

80歳を過ぎてからふたたび京都へ至り比叡山延暦寺に身をよせた。

1848年5月14日書をもって法橋に叙せられ同年7月1日比叡山漫陀羅院の額を書しその功によって法眼に任ぜられた。
1850年5月19日山門の屏風を書して、書家の最高位「法印」に補任され苗字帯刀を許された。

その後、帰郷して1863年3月18日没した。
97歳の長寿であった。
墓は境港市小篠津町の「幸神町墓苑」にある。
その墓石と、龍泉寺及び井田欣一家に蔵される遺品の数々は、境港市の文化財に指定され、大切にされている。

[English Translation]