亮山 (Ryozan)

亮山(りょうざん、安永 (元号)元年(1772年) - 弘化4年3月18日 (旧暦)(1847年5月2日))は、江戸時代後期の僧。
妙楽寺 (知多市)13代住持。
尾張国丹羽郡犬山魚町(愛知県犬山市)に生まれる。
幼少時に出家。
名古屋東照宮の守護寺である天王坊の第26世亮厳法印に師事し、妙楽寺住職となる。
文化 (元号)6年3月17日 (旧暦)(1809年5月1日)、弘法大師の夢告により霊場開創を決意。
岡戸半蔵、武田安兵衛とともに、知多四国八十八ヶ所霊場を開創した。

1772年(安永 (元号)元年)

- 尾張犬山藩士石田徳右衛門の次男として、丹羽郡犬山魚町に生まれる。

1806年(文化 (元号)3年)

- 海部郡 (愛知県)法性寺より、知多郡古見村妙楽寺(知多市新知)に転住。
即明房亮玄と号す。

1809年(文化6年)

- 3月17日 (旧暦)(グレゴリオ暦5月1日)、弘法大師の夢告により霊場開創を決意。
翌日より、四国八十八箇所巡拝に出立。

1812年(文化9年)

- 二度目の本四国霊場巡拝。

1818年(文政元年)

- 三度目の本四国霊場巡拝。

1819年(文政2年)

- 岡戸半蔵と出会う。

1823年(文政6年)

- 大井医王寺(南知多町大井)にて武田安兵衛と出会う。
亮玄を亮山と改め、開創の決意を新たにする。

1824年(文政7年)

- 3月 (旧暦)、88の札所制定完了。
大師尊像の奉安が終わり、開眼供養を修す。
始め「准四国霊場」と号す。
岡戸半蔵、誓海寺禅林堂(美浜町 (愛知県)古布)にて没する。

1825年(文政8年)

- 4月8日 (旧暦)(グレゴリオ暦5月25日)、武田安兵衛、布土十王堂にて没する。
墓所は葦航寺(美浜町布土)。

1834年(天保5年)

- 弘法大師一千年御遠忌。
3月1日 (旧暦)より3月21日 (旧暦)まで各寺にて遠忌大法要を厳修。

1838年(天保9年)

- 准四国霊場を巡拝。

1838年(天保11年)

ー 福生寺(知多市新知)に退隠する。

1847年(弘化4年)

- 3月18日 (旧暦)(グレゴリオ暦5月2日)、福生寺にて入寂。
墓所は妙楽寺。

1893年(明治26年)

- 知多新四国霊場と称する。

[English Translation]