今川泰範 (IMAGAWA Yasunori)
今川 泰範(いまがわ やすのり、1334年(建武 (日本)元年)? - 1409年11月3日(応永16年9月26日 (旧暦))?)は、南北朝時代 (日本)から室町時代前期にかけての守護大名。
駿河国今川氏の第3代当主。
第2代当主・今川範氏の子。
正室は上杉朝顕の娘。
官位は上総介。
号は仲高。
兄に今川氏家がいたため、建長寺に僧侶として出家していた。
1365年に父が死去し、兄もまもなく死去したため、祖父の命を受けて還俗し、家督を継ぐこととなった。
このとき、駿河と遠州の守護職も相続している。
1378年、将軍・足利義満より侍所頭人に任じれて幕政に参与した。
1391年の明徳の乱や1399年の応永の乱では幕府軍の一員として参戦し、武功を挙げた。
1409年9月26日、76歳で死去し(没年には異説も多い)、後を子の今川範政が継いだ。