今川範国 (IMAGAWA Norikuni)
今川 範国(いまがわ のりくに、1295年(永仁3年)?-1384年6月8日(元中元年/至徳 (日本)元年5月19日 (旧暦)))は、鎌倉時代末期から南北朝時代 (日本)にかけての守護大名。
駿河国今川氏の初代当主。
父は今川基氏、母は香雲院。
子に今川範氏、今川貞世(了俊)、今川氏兼、今川仲秋などがいる。
幼名は松丸。
通称は五郎。
生年には異説があり、1297年説や1304年説もある。
鎌倉幕府の北条高時に従い出家したとも。
元弘の乱でも戦い、鎌倉幕府滅亡後に後醍醐天皇が建武の新政を開始した。
これより足利尊氏が離反すると従い、各地で軍事活動を行った。
1336年、遠州の守護職、次いで駿河の守護職を与えられた。
一時的に遠州の守護職が範国から仁木義長、千葉貞胤らに任じられたこともあったが、1352年に再任されている。
1353年には守護職と家督を子の今川範氏に譲って隠居する。
足利直義の死去に伴い、尊氏の要請を受けて足利幕府の引付頭人などを務める。
65年には子の範氏が死去する。
1384年5月19日に死去。
法号は定光寺悟庵心省。
歌人や有職故実にも通じた文化人としても知られた。
足利将軍家の儀式なども指導した。