六角時信 (ROKKAKU Tokinobu)
六角時信(ろっかくときのぶ、徳治元年(1306年) - 興国7年/貞和2年8月26日 (旧暦)(1346年9月17日))は、鎌倉時代、南北朝時代 (日本)の武士。
近江国六角氏(佐々木氏嫡流)当主。
佐々木頼綱の子。
六角氏頼の父。
経歴
元徳2年(1330年)、後醍醐天皇の岩清水行幸の際には橋渡を務めている。
元弘元年(1331年)、後醍醐天皇が内裏を脱出して笠木山に挙兵した元弘の乱では鎌倉幕府方に従い鎮圧に加わり、六波羅探題軍に加わり山門東坂本に攻め寄せており、捕縛された一宮尊良親王を預かっている。
元弘3年(1333年)、後醍醐天皇流罪後も続いた反乱軍鎮圧では、摂津天王寺に戦陣している。
六波羅探題が宮方についた足利尊氏(尊氏)によって陥落されると、探題北条仲時が近江で討死したという誤報を受けて宮方に投降した。
幕府滅亡後の建武の親政では雑訴決断所の奉行人、南海道担当の七番局を務め、尊氏の新政離反にも従う。
室町幕府下においては近江守護職を一時佐々木氏庶流の佐々木道誉に奪われるなど不遇をかこつこととなり、出家して家督を子の氏頼に譲り、41歳で死去したという。