六角氏頼 (ROKKAKU Ujiyori)
六角 氏頼(ろっかく うじより、嘉暦元年(1326年) - 正平 (日本)25年/応安3年6月7日 (旧暦)(1370年6月30日))は、南北朝時代 (日本)の武士。
近江国六角氏(佐々木氏嫡流)当主。
六角時信の子。
六角義信、六角満高の父。
時信が出家したため、氏頼は幼くして家督を継承して六角家当主となっている。
六角家は倒幕において没落し、足利政権では京極家の風下に立っており、氏頼は近江守護に在職しているが不明瞭であり、守護職をめぐり京極家の佐々木導誉と争っている。
氏頼は康永3年(1344年)には検非違使に任じられ、南軍との戦いにも参加するなど嫡流としての立場を築く。
足利将軍家の内紛から発展した観応の擾乱では導誉とともに将軍足利尊氏派に属していたが、観応2年(1351年)に将軍実弟足利直義派が有利となると直義方に降る。
乱後には出家して崇永と名乗り、近江守護も辞して家督も子の義信に譲った。
のち義信が夭折したため、京極氏から京極高詮を猶子に迎え後見をつとめた。
文和3年(1354年)には政界復帰し、近江守護に復したほか引付頭人も務めている。