分部光命 (WAKEBE Mitsunaga)
分部 光命(わけべ みつなが、正徳 (日本)4年1月8日 (旧暦)(1714年2月22日)- 天明3年11月22日 (旧暦)(1783年12月15日))は、近江国大溝藩の第6代藩主。
分部家7代。
第5代藩主・分部光忠の長男。
母は谷氏。
正室は今村氏。
子に分部光庸(長男)、三淵澄鮮(次男)、三淵澄盈(三男)、施薬院宗顕(四男)、中條康永(五男)、分部命誠(六男)、娘(越前松平堅房正室)、娘(角倉玄寿室)、娘(長岡栄之室)、娘(恒川忠栄室)。
官位は従五位下、和泉国守、若狭国守。
正徳4年(1714年)1月8日生まれ。
幼名は熊之助。
享保16年(1731年)、父の死により後を継ぐ。
宝暦4年(1754年)9月7日、長男の光庸に家督を譲って隠居し、宝暦10年(1760年)には病気療養を理由に摂津国有馬温泉にて保養した。
明和6年(1769年)に剃髪して風斎と号し、天明3年(1783年)11月22日(または11月17日とも)に70歳で死去した。
法号:直心院殿円空慶算大居士。
墓所:滋賀県高島市の円光寺。