分部光寧 (WAKEBE Mitsuyasu)

分部 光寧(わけべ みつやす、文化 (元号)6年7月24日 (旧暦)(1809年9月3日) - 安政5年7月21日 (旧暦)(1858年8月29日))は、近江国大溝藩の第10代藩主。
分部家11代。

第9代藩主・分部光邦の長男。
子に娘(綾小路有良室)、娘(本多副元室)。
官位は従五位下、左京亮。

文化6年(1809年)7月24日、江戸で生まれる。
幼名は武吉。
文化7年(1810年)、父の死去により後を継ぐ。
近藤重蔵を罪人として預かったが、光寧は重蔵を丁重に扱ったと言われている。
天保2年(1831年)3月10日、養嗣子の分部光貞に家督を譲って隠居し、楽斎と号した。
安政5年(1858年)7月21日、大溝にて50歳で死去した。
法号:正眼院殿真宗義諦大居士。
墓所:滋賀県高島市大溝の円光寺。

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