北方心泉 (KITAGATA Shinsen)
北方 心泉(きたがた しんせん、嘉永3年(1850年) - 明治38年(1905年))は真宗大谷派の僧侶。
書家としても知られる。
心泉は号、俗名は蒙(きざし)。
嘉永3年(1850年)4月28日、加賀国の金沢市の常福寺の住職の子として生まれる。
明治元年(1868年)、常福寺14世住職となる。
明治10年(1877年)、東本願寺支那布教事務掛となり、留学生を引率して清の上海市に赴く。
清に滞在中に胡鉄梅ら清の文人と交流し、また金石文などの古代の文字を見ることで、書に影響を受ける。
明治32年(1899年)、再度渡清し、南京市に金陵東文学堂を設立するが、義和団の乱により帰国。
その後、法句寺を建立する。
明治35年(1902年)、東本願寺の改革運動に加わったことにより、住職を罷免され僧籍からも除名される(のちに除名処分は取り消される)。