北畠満雅 (KITABATAKE Mitsumasa)

北畠 満雅(きたばたけ みつまさ、? - 正長元年12月21日 (旧暦)(1429年1月25日))は、室町時代前期の人物。
伊勢国司北畠家の第3代当主。
北畠顕泰の次男。

1412年8月、皇統が北朝 (日本)から南朝 (日本)に譲られないことを不服として伊勢で挙兵したが、土岐氏によって鎮圧される。
ところが1414年9月に再挙兵している。
しかし足利義持の命令を受けた土岐持益 (守護)・仁木満長らの軍勢に敗れて、翌年8月に朝廷の仲介のもとに降伏した。

ところが1428年8月、称光天皇が崩御して北朝の嫡流が断絶すると、今度は小倉宮聖承(聖承)の息子を皇位につけようと画策する。
しかし伏見宮家から後花園天皇が立てられたため、この陰謀は頓挫した。
そして小倉宮が満雅を頼って伊勢に下向してくると、満雅は小倉宮を奉じてまたも挙兵する。
しかしこれに激怒した足利義教により派遣された土岐持頼率いる幕府軍に攻められた。
伊勢阿濃郡岩田の戦いで戦死した。

[English Translation]