十市遠忠 (TOCHI Totada)
十市 遠忠(とおち・とおいち とおただ)1497年(明応6年)-1545年(天文14年)、室町時代-戦国時代 (日本)の武将。
十市遠治の子。
大和国龍王山城主。
官位は兵部少輔。
略歴
遠忠は武勇に優れ、歌道(三条西実隆に師事)や書道にも通じ、文武両道の武将として十市氏の最盛期を築いたとされる。
最大領域は十市郡・式上郡等大和国北西部を占め、遠く伊賀国までその領地を広げた。
推定石高は6万石。
1528、畠山氏の重臣木沢長政が大和国へ侵攻した際に舅の筒井順昭と袂を分かち、木沢・筒井氏と戦った。
1532年(天文元年)7月、大和一向宗と興福寺衆徒の間で天文法華の乱が起こる。興福寺焼ける。
8月、一向一揆、高取城の越智家栄を攻めるが筒井氏、十市氏の活躍で潰滅。
1533、父の死を受けて家督を継ぐ(家督を継いだのは1528年以前とも)。
1536、龍王山にあった城を改修し、北側に新たに城を築いて南北一体の大規模な城を築いた。
その後、居城を十市城(現・奈良県橿原市十市町)から龍王山城に移している。
1月21日、春日社参し御幣料1貫・神楽料5貫備進する。(春日大社文書852)
1538年(天文7年)、2月29日 大和国興福寺供目代御房へ大仏供上庄外護職を請けて忠勤を約束する。(春日神社文書)
1540年(天文9年)、9月筒井順昭と和す。
1542、木沢長政が河内国で討死するとそれに乗じて勢力を拡大した。
遠忠の死後、家督は嫡子十市遠勝が継いだ。
編纂物
遠忠が詠んだ和歌等を収めた『十市遠忠百首』『十市遠忠百番自歌合』等が遺されている。
系譜
父:十市遠治
母:名前不詳
室:名前不詳(筒井順興の娘)
子:十市遠勝
子:十市遠長(常陸介)