吉川経光 (KIKKAWA Tsunemitsu)

吉川 経光(きっかわ つねみつ、建久3年(1192年) - 文永4年(1267年))は鎌倉時代前期の武士。
父は吉川朝経。
子に吉川経高、吉川経盛 (播磨吉川)、吉川経茂、吉川経信 (境氏吉川)、吉川経時。
通称は弥次郎。

1240年に父の吉川朝経が死去、当時の経光の年齢は49歳であり、それ以前に家督を相続していたと思われる。
事実、吉川経光は1221年の承久の乱でも鎌倉幕府側として参戦しており(この時30歳)、京都の宇治橋の戦いにて戦功を挙げた。
本領の駿河国吉河荘、播磨国揖保郡福井荘に加えて、安芸国大朝荘の地頭職に任ぜられた。

[English Translation]