呂宋助左衛門 (RUSON Sukezaemon)

呂宋 助左衛門(るそん すけざえもん、永禄8年(1565年)? - 没年不詳)は、戦国時代 (日本)の和泉国堺市の貿易商人である。
別名、納屋(菜屋)助左衛門。
父は堺の貿易商・納屋才助。

『太閤記』などによれば、安土桃山時代にルソン島に渡海し、貿易商を営むことで巨万の富を得た。
文禄3年(1594年)7月20日、織田信長の後を継いで天下人となった豊臣秀吉に対して蝋燭、麝香、真壺、ルソン壺、唐傘、香料など珍品を献上し、秀吉の保護を得て日本でも豪商として活躍した。

慶長3年(1598年)、あまりに華美な生活を好んだため、石田三成ら文治派の讒言によって、秀吉から身分をわきまえずに贅を尽くしすぎるとして邸宅没収の処分を受けることになるが、事前に察知してその壮麗な邸宅や財産を菩提寺の大安寺に寄進して日本人町のあるルソンへ脱出した。
一説には献上したルソン壺が宝物ではなく一般に売られていた物だと発覚したことから秀吉の怒りを買ったともいう。

慶長12年(1607年)、スペインがカンボジアに介入した後にルソンからカンボジアに渡海し、そこでカンボジア国王の信任を得て、再び豪商となったとされる。

城山三郎の小説で、昭和53年(1978年)に大河ドラマ化された『黄金の日日』などで知名度が上がるが、歴史的人物としての事跡は不明。
作中では朱印船貿易家として描かれているが、時代的にはジャンク船を使っていたとも考えられている。
大阪府堺市及びマニラに銅像がある。
また、同市の大安寺_(堺市)に助左衛門の墓と言われているものがある。

[English Translation]