善導 (Zendo (Shan-tao, Shandao))

善導(ぜんどう、ピンイン:sh`an-d~ao)は中国浄土教の大成者。
浄土宗五祖の第三祖、浄土真宗七高僧の第五祖。
姓は朱氏。
「終南大師」、「光明寺の和尚」とも呼ばれる。

善導出生の16年前、天台宗の開祖智ギ(ちぎ)が死去。

同じく4年前に道綽(どうしゃく)が浄土教に帰依する。

三論宗再興の祖吉蔵や訳経史上著名な玄奘(げんじょう)は同時代。

生涯

大業9年(613年)泗州(現:安徽省)、あるいは臨淄(現:山東省)に生まれる。
幼くして、出家し諸所を遍歴した後、長安の南の終南山悟真寺に入寺する。

貞観 (唐)15年(641年)29歳の時に、太原市にいた道綽をたずね、師事した。
そして貞観19年(645年)に道綽が没するまで、『観無量寿経』などの教えを受けた。
30年余りにわたり別の寝床をもたず、洗浴の時を除き衣を脱がず、目を上げて女人を見ず、一切の名利を心に起こすことがなかったという。
道綽没後は、終南山悟真寺に戻り厳しい修行をおこなう。

その後長安に出て、『阿弥陀経』(10万巻)を書写して有縁の人々に与えたり、浄土の荘厳を絵図にして教化するなど、庶民の教化に専念する。
一方で、龍門洞窟 奉先寺の石窟造営の検校(けんぎょう)を勤めるなど、幅広い活動をする。
長安では、光明寺・慈恩寺・実際寺などに住する。

永隆2年(681年)3月14日(3月27日とも)、69歳にて逝去。
終南山の山麓に、弟子の懷惲らにより、崇霊塔(善導塔)と香積寺が建立された。
なお、善導は寺前の柳の樹木に登り自ら身を投じて死したともいわれるが異論もある。
高宗皇帝寂後、寺額を賜りて光明と号すようになった。

善導は日本の法然・親鸞に大きな影響を与えた。
法然が専修念仏を唱道したのは、善導の『観経疏』(観無量寿経疏)「散善義」の中の、「一心に弥陀の名号を専念して、行住坐臥に、時節の久近を問はず、念々に捨てざる者は、是を正定の業と名づく、彼の仏願に順ずるが故に」という文からである。

著作

『観無量寿経疏』(観経疏)4巻

『往生礼讃(往生礼讃偈)』1巻

『転経行道願往生浄土法事讃(法事讃)』2巻

『依観経等明般舟三昧行道往生讃(般舟讃)』1巻

『観念阿弥陀仏相海三昧功徳法門(観念法門)』1巻

ほとんど長安の時代の撰述で、中でも『観経疏』は日本の浄土教日本において、『観無量寿経(観経)』の解釈にもっとも重要な文献である。

[English Translation]