善阿弥 (Zenami)
善阿弥(ぜんあみ、元中3年/至徳 (日本)3年(1386年)? - 文明 (日本)14年(1482年)?)は室町時代の庭師。
河原者という被差別身分の出身ながら、室町幕府の八代将軍足利義政に重用された。
善阿弥作と伝えられるものに、長禄2年(1458年)の相国寺蔭涼軒、寛正2年(1461年)の花の御所泉殿、その翌年の高倉御所泉水、文正元年(1466年)の相国寺山内睡隠軒がある。
応仁の乱の最中は奈良に移り、興福寺大乗院なども手掛けた。
生年は、没時に97歳とあることからの推測で、明徳4年(1393年)とも。
子の小四郎らも庭師として仕え、銀閣寺の庭園は彼の子の二郎、三郎、及び彼の孫の又四郎による作品である。