四条有資 (SHIJO Arisuke)
四条 有資(しじょう ありすけ、生没年不詳)は、南北朝時代 (日本)の吉野朝廷に仕えた公家。
父は四条隆資。
兄に四条隆量・四条隆貞・四条隆俊らがいる。
伊予国国司・左中将などに任じている。
1337年(延元2年/建武 (日本)4年)伊予国司として任国に赴いた。
以降、「大将」(国大将のことか)として同国宇和荘に入ったり、忽那島に渡って合戦の指揮をする(「忽那一族軍忠次第」)など伊予南朝方の勢力拡大に努めた。
1343年(興国4年/康永2年)11月8日 (旧暦)、忽那義範に伊予名越城の「後措」を命じたのを最後に、以後消息不明。