四辻善成 (YOTSUTSUJI Yoshinari)
四辻 善成(よつつじ よしなり、嘉暦元年(1326年) - 応永9年9月3日 (旧暦)(1402年9月29日))は、南北朝時代 (日本)から室町時代中期にかけての公家・学者・歌人。
号は松岩寺左大臣。
父は尊雅王。
祖父は善統親王。
順徳天皇は曽祖父にあたる。
順徳天皇の末裔で代々「四辻宮」を号した。
妹に石清水八幡宮祀官・紀通清妻、智泉聖通がおり、その女良子が足利義満・足利満詮の生母となる。
1356年(延文元年)源氏(順徳源氏)を賜り臣籍に下る。
関白二条良基の猶子となり、その庇護を受けた。
1370年(応安3年)権大納言。
さらに征夷大将軍足利義満・管領斯波義将の後援があり、1395年(応永2年)に左大臣となり、まもなく出家した。
法名常勝。
但し出家の時に親王宣下を望んだというが(『荒暦』)、斯波義将の反対で果たせなかった。
歌人・古典学者としても知られ、若いころに河内流の源氏学者で二条派歌人の丹波忠守の薫陶を受けた。
大臣や将軍をはじめ、地方国人にも古典を講じて人望があり、「正六位上物語博士源惟良」の筆名で、貞治年間、「源氏物語」の注釈書である河海抄を将軍足利義詮に献じている。
河海抄は、源氏物語のいわゆる古注のなかで最高の水準にあるものとされる。
また、その源氏の秘説を集めた書が「珊瑚秘抄」である。
「千鳥抄」は、嘉慶元年に始められた善成の講義を、大内氏の家臣平井相(道)助が記録したものである。
和歌は「風雅和歌集」以下の勅撰和歌集にも入集している。