園基音 (SONO Motonari)
園基音(その もとなり、慶長9年8月23日 (旧暦)(1604年9月16日) - 承応4年2月17日 (旧暦)(1655年3月24日))は、江戸時代前期の公卿。
霊元天皇の外祖父にあたる人物。
主に後陽成天皇(107代)から後光明天皇(110代)にわたる四帝に仕えた廷臣で、官位は正二位権大納言(薨去後左大臣追贈)まで昇る。
父は参議(左大臣追贈)園基任。
母は不詳。
妹に壬生院(後水尾天皇女御・後光明天皇生母)がいる。
室は山家藩主谷衛友の娘。
子息に准大臣園基福、左近衛権中将壬生基起、権大納言東園基賢がいる。
娘に後水尾天皇典侍新広義門院(霊元天皇生母)、左近衛権中将冷泉為清室がいる。
慶長13年(1608年)に叙爵。
慶長17年(1612年)に元服。
同年侍従に就任。
その後、左近衛少将・蔵人頭を経て、寛永8年(1631年)には参議となり、公卿に列する。
その後も踏歌節会外弁・権中納言を経て、慶安元年(1648年)に権大納言となる。
慶安3年(1651年)まで同職を務めた。
妹に続き、基音の娘も御水尾天皇の後宮に入っており、四皇子二皇女を儲けている。
うち皇子1人が霊元天皇として即位することになる。
そのため即位後に孫の霊元天皇より左大臣が追贈されている。
もともと園家は権中納言が極官だったが、基任・基音と二代にわたって天皇の外祖父を出したことにより、園家の宮中での席次も上がり、基音の子である基福は異例の准大臣に叙せられた。
またそれ以降の当主もほとんどが権大納言まで昇り、園家は事実上権大納言を極官とする家へ昇格するのであった。
書道持明院流の名手でもあった。