土田友湖 (TSUCHIDA Yuko)
土田 友湖(つちだ ゆうこ)は、千家十職の一つ、袋師。
二代以降、当主の通称は半四郎であり隠居して剃髪すると友湖を名乗る。
五代までは仕服を生業としたが、以降は茶道具の茶入の仕覆(しふく)や、服紗、角帯などを作る。
2007年現在、当代は十二代土田友湖(1965年に襲名)。
家系
土田家の祖先は近江国蒲生郡土田村の出身の侍・土田七大夫で、後に初代彦根藩主・井伊直政に仕官、鉄砲組頭を代々務めた家柄と伝えられている。
七大夫の4代後の子孫・半平は本来跡取りであったが、実母が早くに亡くなり、後妻に入った継母が男子を生んだ。
そのため、異母弟に家を譲って武士を廃業、「越後屋半兵衛」と名乗って西陣織仲買人となった。
その傍ら袋物の仕立ての修行をし、表千家六代・覚々斎に引き立てられて茶入の仕覆などを縫うようになった。
土田家歴代
初代・友湖(1687年 - 1757年、土田七太夫 通称:半平・勘平 号:友湖・不染斎)
西陣織の仲買人だったが、袋師・亀岡宗理の弟子となってその家業を継いだ。
表千家の六代・覚々斎の時に千家の袋師となり、後に七代・如心斎より友湖の号を贈られた。
二代・半四郎(1736年 - 1757年、法号:了圓)
初代不染斎の子、初代在世中に没す。
三代・半四郎(1746年 - 1784年、号:一得斎友甫)
初代の甥。
丁字屋嘉兵衛長男。
了圓の養子。
四代鶴寿院貞松(1719年 - 1801年)
二代半四郎の姉・くに。
三代半四郎の子供が幼少のため、表千家八代・ソツ啄斎の命により家業継承。
1788年、天明の大火により家屋を焼失するが、ソツ啄斎の援助により再建。
五代・半四郎(1778年 - 1825年、号:伸定、蓮乗)
三代一得斎の長男。
この頃、室町一文字屋三右衛門、笹屋勘右衛門など服紗を扱っていた家が断絶したため、表千家九代・了々斎の計らいにより服紗も扱い始める。
六代・半四郎(1803年 - 1883年)
五代の子。
天明の大火で焼失した家系図や秘伝書の再編さんを薦めるが、蛤御門の変に遭遇、再び家屋及び家伝などの一切を消失。
七代・半四郎(1835年 - 1911年、号:聴雪)
西垣家出身。
養子として土田家に入る。
表千家十一代・碌々斎の引き立てを受ける。
樂吉左衛門と親交が深かった。
八代・半四郎(1861年 - 1911年、千之助 号:淡雪)
七代の長女・阿さの婿養子。
養父・聴雪を亡くした一月後に没す。
九代・半四郎(1892年 - 1914年、安治郎)
八代淡雪の次男。
22才の若さで亡くなる。
十代 浄雪院妙要(1859年 - 1940年)
七代聴雪の長女、八代の妻である阿さ。
夫・長男・次男の早世及び後継者の三男が幼少のため、家督継承。
十一代・半四郎(1902年 - 1965年)
八代淡雪の三男、良三。
昭和15年、十代当主で母の阿さが亡くなったため家督継承するが、太平洋戦争勃発により幾度も応召される。
終戦後、ようやく茶道復活の兆しが出始めた昭和29年に病に倒れ、以後は入退院を繰り返し、家業に専念できぬまま世を去る。
十二代・半四郎(1939年 -)
十一代良三の次男 陽三。
当代土田友湖。