塩谷泰朝 (SHIONOYA Yasutomo)
塩谷 泰朝(しおのや やすとも、建保2年7月9日 (旧暦)(1214年8月16日) - 弘安元年12月7日 (旧暦)(1279年1月20日))は、下野国塩谷郡の鎌倉時代の武将。
人物
泰朝は、塩谷親朝の嫡男として生まれる。
塩谷氏の3代目当主。
従五位下、周防国、民部大輔。
子には塩谷盛朝、塩谷朝宗、塩谷朝基、塩谷重朝、横田親業の正室となった娘がいる。
鎌倉幕府に仕え、正嘉元年(1257年)12月24日に廂番(ひさしばん)という将軍の側近に使える番役衆に任命され、翌年の6月17日には、鶴岡放生会参詣の供奉人に命ぜられている。
また、弘長3年(1263年)8月9日には、時の将軍宗尊親王の供奉人として上洛している。
また、文化人としても知られていた。
宇都宮新和歌集には、父親朝の3倍の42首もの歌が選ばれ収録されている。
弘安元年(1278年)12月7日に没する。
戒名は、光照宗心大禅定門。