大伴室屋 (OTOMO no Muroya)
大伴 室屋(おおとも の むろや、生没年不詳)は、5世紀後半の豪族。
カバネは連(むらじ)。
父は大伴武以(たけもち)とされるが(『公卿補任』)、世代が合わないので不審。
また、大伴談の父(一説に兄)、大伴金村の祖父とされる。
佐伯氏の祖(『新撰姓氏録』)。
允恭天皇から顕宗天皇まで5代の天皇に大連 (古代日本)(おおむらじ)として仕えた(『公卿補任』)。
允恭天皇(仁徳天皇の皇子)の代、妃の衣通姫(そとおりのいらつめ)のために藤原部を定める。
雄略天皇2年(458年)、百済の池津媛を犯した石川楯を、来目部に命じて処刑させる。
同23年(479年)8月、天皇崩御に際して後事を託され、直後に起こった星川皇子の叛乱を東漢掬と共に鎮圧。
清寧天皇2年(481年)には、諸国に天皇の部民制品部(しなべ)、部曲・民部(かきべ)、子代(こしろ)・名代(なしろ)・御名代(みなしろ)として白髪部舎人・膳夫(かしわで)・靱負(ゆげい)を置いた。
武烈天皇3年(501年)天皇の詔に従い、役丁を徴発して城の形を水派邑(みまたのむら、奈良県河合町か)に築いた(ただし、これは金村の事績とすべき)。