大内義尊 (OUCHI Yoshitaka)
大内 義尊(おおうち よしたか、天文 (元号)14年(1545年) - 天文20年9月2日 (旧暦)(1551年10月1日))は大内義隆の嫡子。
母は義隆が溺愛したと伝える「おさいの方(小槻伊治の娘)」。
天文16年(1547年)には3歳にして従五位下周防介に叙任される。
天文20年(1551年)、大内氏の重臣である陶隆房が義隆に謀反を起こし、他の重臣も隆房の動きに同調するに及び山口より脱出、父義隆や公家衆とともに長門国大寧寺へ逃れる。
しかし9月1日、義隆は大寧寺において自害。
逃亡した義尊も陶方の部将に捕らえられ、翌日殺害された。
享年7。
隆房は義尊を殺さずに大内氏の後継者として擁立するつもりでいたという説もある。
毛利元就 (NHK大河ドラマ)においてもその説にもとづき、義尊を当主として大内氏を立て直そうとしたが、それを知らぬ部将によって望まざる結果となり悔やむ描写が描かれている。
周防国・長門国の歴代守護を務めた名門・大内氏の嫡流はここに途絶えることとなる。