大幾 (Daiki)
大幾(だいき)は日本の戦国時代 (日本)、安土桃山時代の人物。
臨済宗の僧侶である。
織田信長と豊臣秀吉の信認を得て、そのブレーンとして活躍した。
略歴
備中国下道郡久代村横田(現在の岡山県総社市久代)に生まれ、幼少時に地元・久代村横田の天福寺(天福禅寺)で小僧となる。
のち雪舟も出家した井山の宝福寺 (総社市)満足庵で正式に出家し、その後京都の東福寺に移った。
天正9年(1581年)2月に織田信長の使者として備中国経山城主中島元行に使いをし、信長方への加勢を要請。
信長の死後は秀吉に仕え活躍する。
秀吉の要請によって朝鮮に渡り、当地の人情、風俗などを調査し、文禄・慶長の役に参画する。
その後、豊臣秀頼の養育係を依頼され、その任に付くが、しばらくして、建仁寺の文英清韓を代役として推挙して地元に帰郷。
宝福寺満足庵の住職となり、久代村横田才の鼻にて示寂した。
天福寺に墓と石碑がある。