大政穗積 (OMASA Hozumi)
大政穗積(おおまさ ほづみ、1929年6月12日-2007年9月19日)は、日展会友として京都、奈良、愛媛県の寺社仏閣、鎧、風景等を画き続けた京都在住の日本画家である。
来歴・人物
1929年愛媛県松山市に生れる。
小野竹喬に師事し、1952年京都市立芸術大学日本画科中退。
以降制作活動を続ける。
1959年京展 市長賞受賞を受賞し、福田平八郎に認められる。
翌年以降は1960年京展 NHK賞受賞、1961年京展 紅賞受賞、1962年朝日新人展 招待出品をし、1963年に日展初入選する。
以降入選回数25回。
また、同年からの3年間の第1回京都秀作展、第2回京都秀作展、第3回京都秀作展推薦出品をする。
その後1967年には日春展に初入選し、以降22回の入選を果たす。
1973年には京の百景展より「福知山城跡」製作依嘱され、1978年には日春展奨励賞受賞する。
その後岩手県盛岡市の清養院の大襖絵製作を1983年に受ける。
翌年1984年日展にて、出品作品「昼さがり」が特選を受賞する。
翌年の日展には無鑑査出品を行った他、第19回文化庁現代美術選抜展への出品もする。
長年の制作活動を認められ、1987年京の四季展にて「岩船寺」の製作を依嘱される。
1988年には高島屋(東京日本橋店、京都店)において個展〔企画展〕を開催した他、1989年にはテレビ愛媛による個展「伊予路の旅展」を開催する。
数々の制作活動を通して1991年の日春展に於いては出品作品の「山里」が外務省買上となる。
1991年には再度高島屋の(京都店、大阪店、東京日本橋店)において1992年2月までの間、個展を開催し数多くのギャラリーからの支持をいただく。
また1995年には現代京都の日本画展に建都1200年展として製作依頼を受け出品する。
長年師と仰ぎ指導を受け続けた小野竹喬が1971年に他界した後、高山辰雄の師事を受ける。
1996年中頃病に倒れる。
リハビリテーションを通して制作活動復帰する為にも重度の後遺症と闘続けた。
しかし、2007年9月19日、癌のため京都府長岡京市の病院で死去。
行年79歳(78歳没)