大江挙周 (OE no Takachika)

大江 挙周(おおえ の たかちか、生年不詳 - 永承元年(1046年)6月 (旧暦)は、平安時代の貴族。
式部省・大江匡衡の子。
正四位・式部省。

父匡衡と同様紀伝道に進み、方略試に及第。
文章博士を経て、後一条天皇の侍読を務め式部大輔に至った。
一方で地方官として、丹波国国司・三河国・和泉国を歴任した。

逸話・説話

挙周の出世が伸び悩んでいる時に、母の赤染衛門は藤原道長の妻源倫子に歌を送った。

おもへきみかしらの雪をうちはらひ 消えぬさきにといそぐ心を
(頭にふりかかる雪を打ち払いながら、雪のように我が身が消えないうちにと急ぐ心を、どうぞお察し下さい)
頭の雪=自分の白髪とかけ、年老いつつも息子を案じる母の心を詠んだ歌であるという。

道長はこの歌を見て同情の心が湧き、挙周は和泉国国司に任じられた。
だが挙周は国司赴任中に病にかかってしまった。
挙周の病は重くなる一方であったので、赤染衛門は京から急いでかけつけ、住吉神社で息子の治癒を祈願した。
御幣には一首の歌が添えられていた。

代はらむと思ふ命は惜しからで さても別れむほどぞ悲し
(息子の命と代えようと言う私の命は惜しくないけれども、そうして息子と別れるならばやはり悲しいことであるよ)

自分の命を捧げても惜しくはないので、息子だけは助けてほしいという歌であった。
やがて挙周の病は全快したが、母の行動を伝え聞いた挙周は同じように住吉神社に赴き、「母が死んでは生きてはいけないので、母が捧げた命は自分の命で補ってほしい」と祈ったという。

以上の説話は『赤染衛門集』、『今昔物語集』巻第二十四に収められるほか、『十訓抄』巻十、『古今著聞集』巻五などの説話集にもとられて広く流布した。
(本記事の歌は『今昔物語集』の本文による。)

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