大炊御門信宗 (OINOMIKADO Nobumune)

大炊御門 信宗(おおいのみかど のぶむね、元中8年・明徳2年(1391年) - 享徳2年(1453年)以降)は、室町時代の公卿。
称光天皇(101代)・後花園天皇(102代)の二帝にわたって仕え、官位は従一位内大臣まで昇った。
父は内大臣大炊御門宗氏。
養子縁組に右大臣大炊御門信量(三条実量の子)、藤原信子(藤原孝長の娘、後花園天皇の後宮で後土御門天皇の生母)。

応永25年(1418年)に従三位となり、公卿に列する。
応永26年(1419年)には陸奥権守。
応永28年(1421年)には正三位中納言となる。
応永32年(1425年)従二位大納言に任じられる。
永享元年(1429年)には右近衛大将、さらに左近衛大将に転じる。
永享4年(1432年)正二位に進むも左近衛大将は辞職。
同年内大臣に就任した。
翌年に内大臣辞職。
嘉吉2年(1442年)従一位となる。
享徳2年(1453年)に出家し、後瑞慶院と号した。
没年は不詳。

[English Translation]