姉小路済俊 (ANEGAKOJI Narutoshi)
姉小路 済俊(あねがこうじ なるとし/なりとし、永正2年(1505年) - 大永7年(1527年))は戦国時代 (日本)の公家、飛騨国国司。
姉小路済継の嫡男で、姉小路高綱の兄。
夭折したが、家系図によると秀綱、清堯という2人の子があったとされる。
父済継の死後家督を継ぎ飛騨国司となるも1527年、23歳の若さで急死。
後、同族と思われる田向重継が家督を継承するもかつての勢いはなかった。
また弟高綱も3年後の1530年以降の消息が掴めていない。
更にこちらも同族の江馬時盛も直頼以下三木氏の台頭を抑えきれず、以後姉小路家は没落。
1556年に重継が三木直頼の子良頼(のちの嗣頼)に滅ぼされた事で事実上姉小路家は断絶した。
以後良頼の朝廷工作でその子自綱が姉小路の名跡を継承すると、時盛以下江馬氏と小島家の小島時光もこれに従属した。
また済俊の嫡男秀綱は名跡を継承した自綱の子秀綱とは同名の別人の可能性が高い。
同族と見られていた重継は近年になって弟高綱と同一人物との説もある。
そうすると姉小路家を継いだのは高綱という事になるものの、弟高綱、嫡男秀綱、次男清堯いずれにも家督を継承したという記録はない。