宇野久重 (UNO Hisashige)
宇野 久重(うの ひさしげ、生没年不詳)は室町時代末期の武将である。
通称を新蔵人と言う。
丹後国ないし丹波国の出身で、源氏の血を引くとされている。
越前国朝倉敏景(英林孝景)に仕えており、家中随一の勇将であった。
幻雲文集(「続群書類従」所収)によれば、常に孝景の傍にあって、「膂力絶人」「勇気蓋世」「百戦百勝無出其右者」と言われるほどの武将であった。
応仁の乱に際して、孝景が東軍に寝返った後、文明_(日本)3年6月10日 (旧暦)の河俣での合戦、同年8月24日 (旧暦)の新庄・鯖江での合戦及び文明11年11月21日 (旧暦)の金津夜討で手柄を立てている。
なお、印牧広次の次男景久を養子としている。