小早川茂平 (KOBAYAKAWA Shigehira)
小早川 茂平(こばやかわ しげひら)は鎌倉時代の武士。
幕府有力御家人。
六波羅評定衆。
小早川氏は、源頼朝の側近の一人で源平合戦で活躍した土肥実平の後裔と伝えられ、茂平は実平より数えて四代目にあたり、小早川の名は土肥氏の本拠地である伊豆の土肥郷にある早川の地名を採ったものとされる。
実平の代には備前国・備中国・備後国3ヶ国の守護となり、その子土肥遠平は安芸国沼田荘の地頭職を与えられるが、専横を極め失脚し、所領は本拠地・土肥郷と安芸国沼田荘のみとなってしまう。
その内の安芸国沼田荘を父・小早川景平が相続し茂平へと至る。
茂平は、この地の開発を積極的に推し進め、高山城 (安芸国)を築き、その後の小早川氏発展の基礎を作った。
承久3年(1221年)の承久の乱では軍功を挙げ、新たに安芸国都宇竹原荘の地頭職を得る。
宝治元年(1247年)から正嘉元年(1257年)には京都に在住し洛中の警備や六波羅探題の警護を務めた。