小野妹子 (ONO no Imoko)
小野 妹子(おの の いもこ、男性、生没年不詳)は、飛鳥時代の政治家。
姓は臣。
子に小野毛人。
『日本書紀』によると大唐に派遣され、大禮(冠位十二階の位)蘇因高と呼ばれた。
日本の通説では『隋書』が記録する「」の文言で知られる国書を携えた使者は小野妹子とされる。
「妹子」であるが 男性である(当時は「子」が男女問わずに用いられた)。
概要
近江国滋賀郡小野村(大津市)の豪族小野氏の出身。
『日本書紀』(巻第二十二)によれば、推古天皇15年(607年)、鞍作福利らと大唐に渡る。
推古天皇16年(608年)に裴世清を伴って帰国、ただし煬帝の返書は帰路に百済において紛失した(紛失に関しては諸説あり、とても見せることが出来る内容ではなかったからであるとする説もある)。
一時は流刑に処されるが、恩赦されて大徳に昇進。
翌年には返書と裴世清の帰国のため、高向玄理、南淵請安、旻らと再び派遣された。
『隋書』「卷八十一 列傳第四十六 東夷 俀國」には、大業三年(607年)、隋の皇帝煬帝(ようだい)が激怒したことで有名な 「」との文言がある。
『隋書』には国書を持参した者の名前の記載はなく、ただ使者とあるのみである。
小野妹子は「華道の祖」とされることがある。
小野妹子墓は大阪府南河内郡太子町 (大阪府)科長神社(しながじんじゃ)南側の小高い丘の上にある。
小野妹子公園(滋賀県大津市小野)そばの唐臼山古墳(からうすやまこふん)を小野妹子の墓とする説がある。
唐臼山古墳南方の古墳は妹子の父の墓である可能性が指摘されており、大津市教育委員会による事前調査が行われたものの破壊され現存しない。
よくある誤解
古代の日本の人名の最後に「~子(あるいは古)」と付ける表現は男性名についても珍しいものではなかったが、現代の日本では「~子」は女性名の最後に付ける文字の定番となっている。
このため、現代において小野妹子を女性であると勘違いする日本人が意外と多い。
また、「妹」という字が使われているのも誤解を助長する原因と言える。
例えば、タレントの井上聡(次長課長)が「世界三大美人に入っている日本人は?」という問いに「小野妹子」と答えたことがあった(本当の正解は小野小町。
ちなみに、小町は妹子の末裔とされている)。
ただしこれは、お笑い芸人である井上が、わざとボケとして発言しただけで本当に女性だと思っていたかどうかは怪しい。
また、この誤解を利用した東京瓦斯のコマーシャルメッセージにおいて、ギャグ的設定で「女性の妹子」として酒井若菜が出演。
誤解をさらに広めてしまうのを防ぐ配慮としてか、共演の妻夫木聡に「小野妹子って男じゃ......」「(本当は男性なのに、女性であると)歴史を曲げるなよ......」とツッコませている。
CM開始当初には無かったが、当該CMの冒頭に、字幕で「※実際には男性です」なる注釈も併せて表示していた。
ただし、男性名に"妹"の字を使ったのかは、今も誰も明確な答をだしてはいない。
そもそも「妹」とは、かつては「いも」と読み、男性からみた同腹の女性の他、恋人や妻などの親しい女性全般を指す言葉であった。