山手殿 (Yamanote Dono)
山手殿(やまのてどの、生年不詳 - 1613年7月20日(慶長18年6月3日 (旧暦)))は、戦国時代 (日本)から安土桃山時代、江戸時代の女性。
真田昌幸の正室。
出自は宇多頼忠の娘という説が最も有力である。
村松殿・真田信幸(信之)・真田信繁(幸村)らの母。
通称は京の御前。
1564年(永禄7年)頃に武藤喜兵衛(後の真田昌幸)に嫁ぐ。
1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの直前、大坂にいたため、石田三成の人質になったが、河原綱家により、拘束から逃れる。
12月13日 (旧暦)、昌幸・信繁親子は16人の家来と信繁の妻女を伴って、九度山に幽閉されることになったが、山手殿は信之に引き取られ上田城に留まった。
この後、出家して名を寒松院と改める。
1601年(慶長6年)頃から大輪寺で生活を始める。
1611年(慶長16年)に昌幸が死ぬと、2年後のに昌幸の三回忌に当たる日に自害した。
法名・寒松院殿宝月妙鑑大姉。
墓所は大輪寺(長野県上田市)、大林寺(長野県長野市)